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この場において批判している人々は、そのサイト制作者に対していかなる思考を持っているのであろうか。些細な問題点を誇大批判して、いったい何のメリットがあるのか。
おそらく、一般論的に考えると自分自身の問題を隠し、あるいはより小さいものにさせるために、あえて他者を下げているように思われる。
しかし、その理由だけであるなら、これを広く伝える必要はないであろう。第三者(A)が批判し、それに対して別の第三者(B)が反応する。そして、Bは別の第三者(C)への反応材料を作る。
この連鎖反応のメリットを考えるために、次のような例を考えてみることにする。
ある、人が多く並んでいるラーメン屋(A)と、閑古鳥が鳴くようなラーメン屋(B)が2軒並んでいる。混んでいるほうの店で食事を済ませた客が店のドアから出てくる。その人の表情はあまり感じがよくない様子である。しかし、その人はこの店に対しても、以前に行ったことがある隣のラーメン屋(B)に対してもそのような表情を向けている。
この状況において、並んでいる客に対しては当事者としてのラーメン屋(A)と、第三者としてのラーメン屋(B)の2軒のラーメン屋の批判感情が向けられている。さらに、この表情は後ろのほうに並んでいる客にも、前のほうに並んでいる客から仕草などから伝えられる。
ここで考えたいのは、後ろのほうの客は元々からラーメン屋(B)を利用するつもりはないのに、ラーメン屋(B)を批判していることである。
つまり、この状況において第三者批判の連鎖性が存在する。
そして、第三者批判は「時間の無駄な喪失」における苛立ちというストレス発散のためにおこなわれるのである。
では、これを先ほどの大型匿名掲示版における批判の事象において当てはめてみることにしよう。
たとえば、ある大型掲示板である人が「ーに対するスレ」(批判的な内容をタイトルに暗示したもの)というスレッドを作ったとする。それに対して、第三者が閲覧したとする。その人は元々はそのサイトにあまり興味がないが、そのスレッドを見たついでに、そのサイトも閲覧する。
しかし、その行動はその第三者にとって時間的に無駄なものである。そこで、その損失の埋め合わせをする必要を感じる場合が出てくる。ただ、失われた時間を取り戻すことはできないので、埋め合わせは第三者の批判による自己のストレス発散という形で行われるのである。
この状況はスレッド閲覧者が増加すればするほど顕著になる。
特に、大型掲示板では新しく書き込みをしたスレッドがスレッド一覧の中で上位に掲載されるため、目立ちやすくなるためである。そして、それが極端になると、時間損失に対するストレス発散とは関係のない、ただの連鎖的批判へと悪質変化する。
これが、大型匿名掲示板における第三者批判の一つの理由であると私は考える。
hyoki 2005.03.04